釣人足るもの、個人差こそあるが、大なり小なり釣りに対する拘りや信念があり、その中で日頃の釣りを行っていると思う。
まぁ、ルアーアングラーという時点で『エサではない擬似餌(ルアー)で魚を釣り上げたい』という拘りの中で釣りを遂行しているわけで、これも立派な信念だと思う。
第一僕らは魚を釣って生計を立てているわけではない。
可能な限り多くの魚を効率的に釣りたいという願望こそ、本職である漁師さんに近い想いにあるが、別に釣れなくても何も困らないし、「次がある」の一言で片付けてしまえるほど、魚を獲ることに執着する必要性は薄く、趣味として魚を扱う我々釣人の特権でもある。
とは言っても、行くからには最善を尽くし、できる限りの良果を上げたい!!と奮闘するからこそ真剣な遊びとしての面白さが増幅するわけで、まぁそんな思惑と一定の拘りと信念の中で、我々は日々の釣りに勤しんでいるわけである。
ルアーアングラーの間でもいろいろな釣りにおける信念を耳にする。
『とにかく大きなサカナを釣りたい!!』とか
『誰よりも多くのサカナを釣りたい!!』とか
『今シーズンは○○○匹を目標としてます。』とか
『メーターオーバーを釣るのが目標です。』とか
まぁ、個々にいろいろと目標を掲げて日頃の釣りの励みとしている方も多いことだろう。
各言う自分はどうか?と問われると、若干一般とは思考がズレていると指摘されつつも、結構強い拘りと信念を持っている人間のようだ。
例えば…アジングでいえば、エラストマーという素材でできたワームで釣ることをベースに釣りを組み立てているし、連日釣行の際もできるだけ昨日のデジャブ的釣りは避けるように心掛けている。
連日釣行といえば、アングラー自体も数タイプに分類される傾向がある。
私がすごいなと思うのは、日課といえる状態で毎度同じターゲットを同じエリアに狙いに出掛けられるタイプ。
ある程度纏った期間に釣りを詰め込んで行うこと自体は私も少なくはないが、それこそ試したいことや確認したいことがあるからこそ出掛けるのであって、それが毎日のように発生することは私はないのである。
フィールドは日々刻々と状況を変えていて、一度として同じ日はないという見解も一理あるが、季節的傾向やフィールド・地域的特性ってやつは、そうコロコロと変化するものでもないと感じていて、まさに昨年、昨日のデジャブ的釣りは、確認の意味でシーズン序盤こそ行うが、大体はその傾向を把握できた途端に飽きるというか、尻すぼみ気味になってしまう。
他人に自慢できるような大型を常に求めているわけでもなければ、
バカみたいに他人よりたくさん釣りたいというわけでもない。
記録的な大型魚は、追い求めて狙って獲るからこそ自己満足感を得られるわけで、他魚種狙いで不意に釣れたMAXサイズ(これが良くあるんですよね…)は、記録として残す価値もないと考えているし、ハイシーズンの爆釣も楽しいのは楽しいのだけど、その傾向があまりに変化なく単純だと直ぐに飽きてしまうw
特に私が周年追っているアジやチヌなんてのは、釣れる時には結構簡単に誰でも釣りやすいサカナなんで、アジだとある程度のアベレージパターンがみえたらその先のサイズ狙いに移行しちゃうし、トップチヌなんかも、それだけやり続ければ単日釣行の一つの目安である『ツ抜け』をあっさり達成できそうな雰囲気になるが、そんな日こそ、違うルアーで違う傾向のサカナと出会いたくなってしまう悪い癖がでるw
ちょっと釣れると直ぐにその先に進みたくなるこの性分は、幾つになっても治らないらしく、釣果が劣るカタチになっても、個人的に求めた成果が残るほうが良いと考えていて、この様子が他人には変人に映るらしく、釣れるサカナを釣れる時に釣っておけばいいのに…と指摘されることもしばしばである。
言葉にするのは難しいが、私の釣りに対する信念は
『夢の続きを魅ること』にあるといった感じで、短日釣行の中で可能な限りの最大魚を求めつつ、効率的にアベレージをつかむ傾向の把握に勤める釣りといった感じである。
「デジャブな釣り」と「夢の続きを魅る釣り」の違いは、想いの丈の違い程度ではあるが、一魚種をとことん掘り下げて追ってみると、本当に今日は面白かったなと思える日は、週1~3回ペースでフィールドに向う私には、年に数回程度しかなく、大体は、この感じ、釣れかたは前にも経験したなぁ的な感じになる
それでもフィールドに向かい続けるのは
「年数回程度の楽しい釣りの続き、その先をもっとみてみたい…」という想いがあるからだろう。
私が釣りを続けられている動機はこれだと思うし、これが私の釣りの根底に流れる信念と拘りなんだろうなぁと言葉にして改めて思う。