はじめに

2019年10月23日

まず、はじめに・・・
私という人間を知らずに、ここへ辿り着いてしまった方のために
初回である今回は、私個人の自己紹介や生い立ちを。

河野 大輔 (daisuke kohno)

1983年生まれ 鹿児島県在住

幼少期より父の影響で釣りをはじめ、現在はライトゲーム、なかでもアジやチヌ、ロックフィッシュをルアーで狙うのが大好きで、それらを周年追いかけつつ、シーズン毎の面白そうなターゲットを自由に楽しんでいます。

釣りのベースはショアキャスティング。
オフショアが嫌いなわけではないが、魚の動向を予想して着き場を探しだす工程が釣りの中でも好きなパートなので、そこにお金を払ってショートカットしてしまうタイプの釣り(遊漁船とか管釣りとか)はちょっと苦手。まぁ、それはそれで割り切ってしまえば面白いのも解っていますが…現状、そこに時間とお金をかけるなら、もっと魚を探すこと、釣行回数自体を増やしたい!!といった感じですw

小学生の頃までは、父や兄と共に家族でいろいろなエサ釣りをしていた記憶がある。自転車という機動力を身につけてからは、自分達でも近所の漁港へアラカブ(カサゴ)の穴釣りやキス釣りなどへ出掛けていた。

中学生の頃に、当時一大ブームとなっていたバスフィッシングを覚え、この頃よりルアーフィッシングの世界へ足を踏み込むと同時に、エサ釣りでは、清流でのドジョウ釣りや、のべ竿とヘラウキでメイタを狙うなど一風変わった釣りにもハマっており、今となっては、現在の独特な釣りへの理念に通じる気性を垣間みれる時期だと感じるw。

高校時代は、釣りに費やす時間とお金をもっと増やすため。あと、釣りの専門学校へ進学する目標のために、部活動はせずバイトをしながら、原付バイクで近所の野池を廻る日々をおくっていた。

高校卒業後は一年間フリーター生活をした後、念願の釣り専門学校へ(福岡へ上京)
この専門学校時代に出会った釣り仲間や釣りそのものに対する考え方などが、今の私の釣りを形成する根源となっており、ここで知り合った気のあう仲間や恩師との交流は、今なお私の核となる財産であり、今後も絶えることはないだろうと感じている。

卒業後は、佐賀県にある有名釣具店へ就職
店舗のルアー担当として7年間勤めた。憧れの業界でイキイキと働きながら、社会人としての基礎など多くを学ばせていただいた。
趣味を仕事にすると裏側の黒い部分もみえて趣味としての楽しさを見失うこともあるらしいが、好きで進んだ道であったためか、そのような状態には全くならず(もちろん黒い部分もいっぱいみたけどw)休日は生涯の趣味として釣りの技術を磨きつつ、仕事で釣具を扱い、私事でも釣りばかりという釣り一色といえる生活に。

ちなみに、このサイクルが今もあまり変わっていない人間ですw

また、22歳の時に地元の釣り雑誌社とのご縁があり、メディアアングラーとしての活動も開始。

釣具店で7年勤めた頃、系列会社でルアーブランド立ち上げの話が舞い込み、そちらの営業企画担当として部署移動

部署移動といっても、そのプロジェクトの担当自体が私1人であったため、営業企画担当という肩書はあれど、開発、企画、広報、営業、販売、在庫管理などなど、そのブランドに関わる全てのブランディングやマーケティング、細々とした雑用に至るまでが仕事であった。まぁこの業界、大手有名企業以外はどこもそんな感じだと思う・・・。

そこで出会った全国のテスターさんや各種業界関係者たちの助力もあり、今やライトゲームブランドとしてはそこそこ認知度のあるブランドにまで成長させることができたと自負しているが、まぁいろいろ思うこともあり、ブランドの土台が仕上がった5年後に依願退社し故郷である鹿児島へ戻る。

帰郷後は、メディアアングラーとしての活動を継続しながら、悠悠自適な釣りとの関わりを謳歌している。

幸い、私の釣りにおける考え方やスタンスに興味を持っていただいている方も業界内外にいるようで、たいへん有難い限りです。
そんなこともあり、数社のメーカーにスポンサード契約をいただきながら、メーカー発信の釣具を監修させていただいたりもしている。


ただ、一生涯釣りを辞めることのないであろう生い立ちや経歴の流れもあり、もっと自身の釣りに対するスキルを今とは違うカタチで表現できないか?と常々思っていたことあり、当サイトや自身のオリジナルブランドの立上げに踏み出すことにした。

と、まぁザックリとした生い立ちや今回の経緯の動機などはそんな感じだが、もっと詳細な自叙伝もそのうち公開できれば思う。

最後に、当エッセーのタイトルである「河野節(こうのぶし)」は、とある関西のプロアングラーの方に、独特な釣論と冗舌を揶揄していわれたことがキッカケであり、当事者である私本人も客観視したらそう感じるだろうなぁと納得して気に入っていたので。

まぁ、今後もそんな「河野節」の炸裂をこちらに記録していくのが当エッセーの目的なので、ぜひぜひ、時間のゆるす限り、気長にお付き合いいただければ幸いです。